iPad Proを2017年に購入してから、僕の側には必ずiPadがあったと言っても過言ではない。iPadは数々の試験を乗り越えるのに必要不可欠な存在だった。人生を左右するほどの大きな試験でもiPadだけで勝負し、紙媒体は一切使用していない。また働き始めてから紙の本を持ち歩かないのは、appleが提供してくれる文書管理ネットワークのおかげだった。
「書き込めないなら意味がない」
全てはこれにつきる。書き込めない紙など意味がない。書き込むからこそ復習がうまれ、学習がうまれる。2015年夏、書き込めないぼくのiPad Air2は図書館に眠っているあまり借りられない小難しい本みたいな扱いになっていた。カバンのなかで、ただの重しとして役者を張っていたわけである。
2015年までiPadは閲覧デバイスとしての需要を満たす商品だった。紙を捨てよ、evernoteにぶちこめ、iPadでコンテンツを消費しようともてはやされた。学習者にとってそれは響かなかっただろう。理由はもちろん書き込めないからだ。またevernoteにぶちこむのはわかるがiPadでやる必要はない。PCでノートを作りスマホで確認すればいいだけの話だ。
iPad Proは2015年に第1世代が発売され、同時にApple Pencilも発売された。当時僕が思った感想は、「ペンに一万円も出せるか」である。多くのレビュアーがその素晴らしさを語っていたが、当時はリフレッシュレートが60Hzだったので、俊敏にペン先を追従しているとは僕は思えなかった。またアプリが今ほど定型化していなかったので、文書管理に絶対的な安心を持つことがどうしてもできなかった。勉強とは時間の軌跡であり、それが消えることは許されない。複数バックアップが保証されていることは大前提だ。
時は進み、2017年大学4年生の夏、授業のたびに配られるあまりに増えすぎたレジメ、大量の教科書、意味不明な重複だらけの過去問を管理できなくなった僕は途方にくれていた。しかも大量の試験が連続射撃のようにメンタルをえぐる。また当時音楽団体の指導もしていたため、スコア(すべての楽器の楽譜をまとめた総譜)を大量に持ち運ぶ必要があった。もはや紙の奴隷である。もともと所有していたiPad Air2は虚しく一部のレジメを映し出していたが、やはりしっかりと使われることはなかった。
2017年夏、iPad Pro 第二世代が発売された。リフレッシュレートが120Hzとなりその追従性は紙にも劣らない素晴らしいものへと進化した。ビックカメラでモックを触ったとき、衝撃が走ったのを覚えている。ああ、これで紙から開放される。もうくそ重いカバンを毎日背負って大学に行かずに済む…。
僕が買ったiPad Pro 第二世代は64GB wifiモデルで、比較的スペックは低かったが文書管理をするためだけに使っていたため、当時は容量十分であった。持っていた紙をすべて取り込んだiPadは、「レジュメを忘れること」を忘れさせてくれた。さらに今あの教科書のあのページがみたい…でも家にある…という現象がなくなった。Apple Pencilのペン先はすぐにすり減り、ペン先を換えるたびどんどん愛着が湧いた。
大学の最終とも言える試験では伝統的に受け継がれている大量(3日かけても印刷しきれない)の紙資料類が立ちはだかったが、友人達にデジタル好きが多かったため、皆で分担してスキャンすることができた。これにより最終試験もすべてiPadで完結させた。
卒業後も職場関係や日々の事務的書類を取り込みつづけ学習の一大軸となっていたiPadであったが、大将軍も4年経てばそろそろお疲れの様子である。そもそも64GBのほとんどがGoodnotesのデータで占められており、1000ページを超す巨大pdfをガシガシスクロールすればメモリが足りずアプリが落ちてしまうこともしばしばだった。
この調子じゃすべてが捗らない。仕方ない、愛着のこもったこいつともついにおさらばだ。
2021年4月、僕はあたらしいiPad Proを購入した。手となり足となり働いてもらう次なる愛機。その最初の出会いを紹介しよう。